「良いおもちゃ」って何でしょう?
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「良いおもちゃ」って何でしょう

-良い絵本が心を豊かにするように、優れたおもちゃが豊かな感性を育てます-

 

 

 

目次

遊びの重要性について 1

おもちゃの重要性と「良いおもちゃ」の見分けかた 2

子どもにとって良いおもちゃと素材 3

子どもとおもちゃの関係性 3

デジタルゲームの功罪 3

アナログゲームの魅力 3

子どもに絶対に媚びない、けれどもけっして見下さない 3

成長別「良いおもちゃ」の紹介 4

乳児のおもちゃ 5

1歳頃からのおもちゃ 5

1歳から2歳にかけての「叩く」遊びの経験 5

「注目・追視」とおもちゃ 5

絵本とおもちゃ 5

集中力とおもちゃ 5

文字を獲得する前のおもちゃ 5

積み木あそびについて 5

よく目にする「大いなる勘違い」 5

おもちゃを通しての子どもとの関わりかた 5

おもちゃの分類 6

非認知能力が問われる 6

 

遊びの重要性について

子どもは遊びを通じて、考えたり想像したり、手や体を使ったり言葉を駆使したり、人間関係を作ったりしています。つまり、発達に必要な重要な体験は、すべて遊びのなかから生まれているのです。

大人は、子どもに何かを教えてあげたいと思いがちですが、子どもが何かを学ぶのは、教えられたからというよりも、遊んでいたら結果的に身についたということが多いのです。従って大人は、教育する目的で子どもを遊ばせるのではなく、子どもが純粋に遊んでいるときにのみ教育が存在するということを忘れてはならないのです。すなわち、良い子育てをしようと思うなら、遊びを豊かなものにしてあげることがもっとも重要ということになります。

 

おもちゃの重要性と「良いおもちゃ」の見分けかた

では、遊びを豊かにするにはどうすれば良いのでしょう。子どもにとって遊びのなかで大きなウエイトを占めるのはおもちゃですから、良いおもちゃが良い子育てに繋がるということは言えそうです。

絵本に関して日本は世界の先進国と言ってもいいのですが、おもちゃの意味や働きについての研究では遅れています。そのため、良いおもちゃを定義するのは、なかなか難しいものです。実際、良くないおもちゃを挙げなさいと言われても即答できません。ヨーロッパの木のおもちゃだから良いおもちゃというわけではありません。木製であれば何でも良いというものでもありません。人それぞれに個性があるように、どんなおもちゃにも、それぞれ良さがあります。一般的にあまり受けないおもちゃが、ある子どもにははまってしまうなんてことも事実あります。でも、ここでは、私が考える「良いおもちゃ」がどんなおもちゃかを敢えて定義してみたいと思います。

「良いおもちゃ」と一口に括るのは難しいものの、「定番おもちゃ」というものはあります。定番おもちゃとは、

  • 一定の期間、製造販売され続けていること。おもちゃは、作者とメーカーだけで作るものではなく、遊び手に遊ばれることで育ち完成するものです。初期の製造から長い年月、継がれてきたという事実は、多くの子どもたちに遊ばれ続けてきたことを意味します。
  • 奇をてらわずシンプルであること。定番おもちゃは、一見、地味な外観をしたものが多いです。機能美や自然な形の美しさを追求すると、余分なところが削ぎ落とされていくのです。
  • 子どもに媚びない、けれども馬鹿にしない。創り手の基本姿勢の問題です。キャラクターを使って売ろうとしたり、積み木にひらがなを付けるような、おもちゃ本来の機能以外の要素を入れたりするのは、定番おもちゃとはまったく違う姿勢だと思います。
  • 子どもの発達をふまえている。弊社で扱っているおもちゃはドイツ製が多いのですが、これはドイツがマイスター(職人)の国であるとともに、幼児教育の先進国であることに由来しています。

大雑把ですが、以上4つの基準を満たしたおもちゃが「定番おもちゃ」と考えられます。

では続いて、「良いおもちゃ」に出会うにはどうすれば良いのでしょう。まずは、「定番おもちゃ」と言われる世界中の子どもたちに長年、愛され続けてきたおもちゃで遊んでみることです。そうしたおもちゃには、優れた機構と、美しいデザイン性が感じられるはずです。こうして徐々におもちゃを観る目を養っていきましょう。そして、大人自身が遊んだ経験と、子どもの遊ぶ様子を観察しているうちに、良いおもちゃとはどういうものかが少しずつ分かってくるのです。本当の楽しさを知るには本物に出会う必要があるのです。

 

子どもにとって良いおもちゃと素材

子どもは成長の過程でさまざまな素材に触れていく必要がありますが、最初に触れるものとしては、木、布、紙などの自然素材が良いといえます。そして、子どもがもっとも心地よく感じる素材は人の肌と言われます。その次に心地よく感じる素材は木と言われています。木は人の肌ほどではないにしろ、温もりや安心感を与えてくれます。木はおもちゃとして製品になってからも、含まれる水分の量が気候に合わせて変化し、人の肌に近い存在と言われることもあります。

木のおもちゃが与えてくれる心地よさは人の五感と響き合います。ラトル(ガラガラ)の音や、積み木を重ねるときの音などは、耳に心地よく響きます(聴覚)。木の自然の色は目に優しく映ります(視覚)。手には温もりを感じることができ(触覚)、木の香りに癒やされます(嗅覚)。何でも舐めて遊ぶころの子どもは舌でも木の感触を感じているはずです(味覚)。このように木のお人とは、五感で響き合うのですが、この感覚は木が一方的に刺激してくるのではありません。人が能動的に向き合うことで五感に響くのです。

一般的に「木のおもちゃは値段が高い」という評価があります。安価な労働力を使って大量生産されたプラスチックのおもちゃに対して、木のおもちゃは量産ができません。また、零細な工房を営む木工職人たちの高い技術力とモノづくりへのこだわりに支えられています。木工職人たちの手仕事に適正な対価で応え、安全と信頼、高い質を備えたモノづくりの伝統を守っていくためにも多少の価格の高さは受容しなければなりません。同時に、過剰な包装や宣伝広告をなくし、適正な価格でおもちゃを提供することも求められると想います。

 

子どもとおもちゃの関係性

子どもが何かものを使って遊んでいる時、特徴的なことがあります。それは、目の前にあるものと一生懸命、関係を保とうとしていることです。子どもは物と関係を持ち、人と関係を持ち、自然と関係を持ちながら自分というものを作りあげていきます。関係を持つためには、自分から物に対して働きかけなければなりません。

おもちゃから出る音や動きや光は、子どものこういった気持ちを拒絶します。ここに、子どもにとって良いおもちゃの条件を一つ見ることができます。すなわち、おもちゃの側から歩み寄ってこない(関係を求めてこない)、すなわち、動力を使ったおもちゃではないということになります。おもちゃが勝手に動いてきたり、音を出したりしないからこそ、子どもの側からおもちゃに対して働きかけようとするのです。

電動玩具が絶対に良くないということではありません。良くないおもちゃというものがあるとしたら、それは、子どもたちが安心・安全に遊べないもの(危険なもの)、コンテンツが暴力的なもの、あまりにも音や光が強すぎるもの(視覚的・聴覚的に過敏すぎるもの)とは言えるでしょう。

 

デジタルゲームの功罪

「AIの時代が来る」「小学校ではタブレットを使った教育が当たり前」などと言われる今日。デジタルゲームで遊ぶこと自体を否定するわけではありませんが、もっと面白い遊びがいっぱいあることを忘れてはいないでしょうか。デジタルゲームは確かに興奮するし、ビジュアルも音楽も子どもたちをいやが上にも惹きつけます。でも、すべて、敢えて言うなら受動的なおもちゃなのです。

能動的に関わらなければ遊ぶことができないおもちゃのなかに、もっと奥深い面白いおもちゃがあることを発見してください。そして、こんな面白い世界があったんだと、お子さんとともに気づいていただけたら、これ以上の喜びはありません。

いくら世の中がAI時代になろうと、人間の根源的な創造性を維持し発展させていくために、能動的に関わるおもちゃこそが「生きる力」を醸成してくれるものだと確信しています。

 

アナログゲームの魅力

かつて日本の家庭には優れた「子育て文化」と言える遊びがたくさんありました。将棋、トランプ、かるたなどです。こうしたアナログゲームには、ゲームが成立するための条件があります。それは、①ルールを守ることです。人間が社会的動物である以上、ルールを守り、他人とうまく関わって生きていくことから逃げることはできません。もっとも親しい間柄である家族でもお互いにルールを守ると言うことから、幼い子どもでもルールと言うことの意味が分かってきます。②集中すること。集中力なしにできるゲームはありません。遊びに集中できない子どもは、将来、勉強に集中することもできません。③ゲームをしていて熱中すれば、勝って嬉しい、負けて悔しい気持ちを味わうことになります。負けたときの悔しさは必ず、何かを行うときのバネになります。また、負けたときの悔しさを分かってくると、勝ったときに負けた相手の気持ちを理解できるようになってきます。このように、アナログゲームは人との直接対戦を通じて遊びが進行していくため、豊かな人間関係が築かれていくのです。

ところで、アナログゲームで遊んでいると、子どもたちは必ずと言っていいほど「もう1回(やりたい)」と言ってきます。この「もう1回」という言葉の裏にあるものは、「もう1回でも100回でも体験したい幸せな時間」という意味が隠されているのです。親がすべてのことを投げ捨てて自分に向かい合ってくれている、子どもにとってこれほど幸せな瞬間が他にあるでしょうか。そして、今日「もう1回」が叶わなくても、この幸せな時間が「また明日」必ず訪れることを信じて、健やかな眠りに就くことができるのです。

 

子どもに絶対に媚びない、けれどもけっして見下さない

大人の側の問題として、子どもに媚びない、子どもだからといって舐めない姿勢というのがとても大切です。おもちゃを買わせようとしてキャラクターを付ける玩具メーカー。キャラクターに限らず、あらゆる日用品には可愛い絵を付けることが茶飯事となっています。そして、子どもたちへの受けを狙って付けられたそれらの絵は、決して質が高いとは言えません。そんな環境を提供していて、子どもにどのような美的感覚を育てようとしているのでしょう。

大人は子どもに「生き生きのびのびした表現」を求めますが、子どもが良い表現をするには、子どものなかに「良いもの」がインプットされていなければなりません。子どものなかに「良いもの」が蓄積されているかどうかは、子どもがどれだけ質の高い芸術や文化に触れてきたかにかかってきます。見たとき聴いたときには意味が分からなくてもいいのです。漠然とした記憶だけでも良いのです。さらに、いつも特別な展覧会を見なければならない訳でもありません。むしろ、日常的に触れる機会が多い、できるだけ身近にあるおもちゃだけでも良質なものに触れさせてあげましょう。

ヨーロッパ、とりわけドイツのおもちゃを見て、いつも感じることですが、子どもというものの捉え方が実にしっかりしています。子どもを見下した態度や、子どもに媚びた大人の姿が見られないからです。このような姿勢のメーカーはヨーロッパにはたくさんありますが、その姿勢が特にはっきりしているメーカーのおもちゃをこの後、紹介していきましょう。

 

成長別「良いおもちゃ」の紹介

乳児のおもちゃ

生後、間もなくは、常に働きかけられる存在です。自分から周りの人や物などの環境に働きかける力を持っていません。おっぱいを飲ませてもらい、おむつを取り替えてもらい、抱き上げられ、話しかけられ、あやしてもらいます。こうしたくり返しのなかで親子の信頼関係を築いていきます。このような時期の子どもに対しては、信頼できるママやパパの語りかけとともに、動かしたり振ったりすると音が出るおもちゃが大切な役割を果たします。大人の言葉や動きの助けを借りて、小さな刺激から入っていくおもちゃが適しています。大人が優しく声をかけながら手で揺らしてあげる木のガラガラや、風に揺れて静かに動くモビールなどがその代表です。強い刺激のおもちゃは、一時的には子どもを惹きつけますが、すぐに慣れてしまい、もっと強い刺激がなければ反応を示さないというようにエスカレートしていきます。強い音や動き、光などの刺激は、子どもにとって決して好ましいものではありません。

 

1歳頃からのおもちゃ

1歳を迎える頃になると、手に何かを持って叩くという動作が大好きになります。立派な意志の表れですが、大人の立場からすれば、スプーンでコップや皿を叩いたり、手に持った物でテーブルを叩いたりしたらたまったものではなく「叩いちゃダメ」ということになります。

何故、そんなに物を叩きたくなるのでしょう。何かを叩くためには、手と腕の運動が必要になります。指、手のひら、手首、ひじ、肩、こういったところを自在にコントロールしなければなりません。さらに、叩きたい対象物を目で捕らえ、距離、方向を計り、そこへ手を伸ばさなければなりません。自分の意志で運動を行うようになるには、手指や腕の能力が子どものなかで統合された働きとして活動し始めたということなのです。「目と手の協応」「手の運動の分化」などと言われる働きですが、すべてが脳の働きだということを理解すれば、「叩きたい」子どもの気持ちを理解できるようになります。そして、どのように満足させてあげるかが重要になってきます。

 

1歳から2歳にかけての「叩く」遊びの経験

1歳から2歳にかけては、叩く遊びの経験をたくさんさせてあげましょう。この時期に叩くことを禁じられた子どもたちは、叩きたい気持ちが消化されないまま大きくなってしまいます。「叩く」ことは発達段階の課程で、いつまでも叩きたいわけではありません。叩くおもちゃを使って充分に叩かせてあげて、スプーンなどで叩いているときは「それはやめようね」と言ってあげればいい訳です。年齢に即した遊びの経験を積み重ねていくことが、子どもたちの成長、発達にとって大切なことなのです。

 

「注目・追視」とおもちゃ

「叩く」おもちゃの次に、動くものを目で追う「注目・追視」を促すおもちゃについて考えてみましょう。幼い子どもたちは、目をそらさず、じっと物を見つめることがあります。発達とともに物の姿や形を見分けていくようになるのですが、初めのうちは、視力が弱いため集中してじっと対象物を見なければ相手を捕らえることができません。子どもたちは視線をそらさず相手を見続けることをくり返しながら視力が徐々に発達していきます。そして生後3か月くらいから動くものを自分の視覚で捕らえられるようになり、ママの動きを目で追い始めます。この頃にベッドの上にモビールなどを吊してあげると物を注視する経験をくり返すようになります。

やがて、ゆらゆら揺れるようなものを「注目する」段階から、もっと速く動くものを「目で追う」ことができるようになっていくのですが、そのときに重要な役割を果たすおもちゃがあります。その代表格が『シロフォンつき玉の塔(クーゲルバーン)』です。このおもちゃは子どもたちに次のような発達を促します。

  • 小さな玉を掴む 親指と人差し指を輪にして物を掴む作業(「二指対向」)をする。霊長類の共通する特徴の一つで、人の知的な発達に重要な役割を果たしていると言われています。
  • 穴に落とす 玉を坂道に転がすためには、玉を穴の上から上手に落とさなければなりません。「目と手の協調作用(協応作用)」が働いているときです。
  • 玉が転がり落ちると音がするのを予想する このおもちゃで遊んだことがある子どもは、玉から手を放した瞬間から、最後のところで綺麗な音がするのを予測しています。
  • 転がっていく玉を目で追う 小さいときほど目で追う作業は苦手です。眼球運動が未発達なことと視野が狭いため、顔全体を動かさないと目で追い続けることができません。そんな子どもを後ろから見ていると頭全体が動いているのがよく分かります。1、2歳ではまだ発達の途中です。成長し、発達するにつれ、視野も広がり目だけでものが追えるようになってきます。
  • 動いている玉を掴もうとする 1歳の頃では手の動きが玉の速さに追いつけず、転がった後に手がいくのが分かります。これはまだ、目で見て頭で考えたことを手の運動に伝える速度(反射)が不十分なためで、脳の発達の途中ということでしょう。
  • 予想が当たって満足する(期待が叶えられて満足する) 最後に自分の予想したとおりに音がした瞬間、音が聞きたいという自分の期待が叶えられたことに満足し、もう一度やりたいという意欲がわきます。転がっていく玉を途中でせき止め、玉が溜まってから一気に転がす遊びもします。じつはこのおもちゃ、たくさんある玉のなかに一つだけ穴に入らない大きさの玉があります。このおもちゃの開発者が、子どもの心理を実によく掴んでいると言えましょう。『クネクネバーン(トレイン・カースロープ)』も追視のおもちゃです。

『カタカタ人形(はしご人形)』は、さらにゆっくりとした動きを追視するのに適しています。人形のユーモラスな動きとゆっくりした速度が、まだ追視能力が充分育っていない子どもにも注目することを可能にしてくれます。

これらのおもちゃは、子どもの発達の特性と、興味、好奇心を充分捕らえ、楽しく遊べるように実によく工夫されています。そして、何よりも重要なことは、動力を一切使わず、遊びのすべてが子どもの手に委ねられているということです。自分の手で掴み、遊ぶからこそ、自分の遊びであり、自分自身の発達に繋がっていくのです。落ちてきた玉や車を、動力を使って上げてしまえば、遊びの主役は子ども自身であるという、いちばん大切で楽しいところを奪ってしまい、自発性を育てることができません。

 

絵本とおもちゃ

優れたおもちゃと、優れた絵本には共通するものがあります。関わりかたは違っても、子どもを豊かな人間に育てるために、どちらも欠かすことができません。日本では「絵本は学習にも繋がる良いものだけど、おもちゃはちょっと……」という考えが根強く残ってはいないでしょうか。「絵本なら買ってあげるけど、おもちゃはもうダメ!」と言ったママの声を聞いたことはありませんか? どちらが大切というものでなく、どちらも大切なものなのです。

ところで、おもちゃの大切さについて語る人のなかには、こんな人もいらっしゃいます。「うちでは知育玩具や◯◯教育に繋がるおもちゃで遊んでいるので、おもちゃを下になんか見ていませんよ。絵本と同じように大切にしていますよ」と。でも、ちょっと考えてください。おもちゃで遊ぶことは、文字や数を覚え、知識を得ることが本質ではないのです。子どもたちの学びたいという気持ちを削ぐことはあってはなりませんが、何かの目的のために子どもにおもちゃを押しつけるのはいかがなものでしょう。おもちゃの大切な役割を根本的にはき違えています。最近人気のおもちゃのサブスク会社の多くも、「知育玩具~」「モンテッソーリ教育のおもちゃ~」の貸出を謳い文句にしています。けっして、モンテッソーリ教育を体系化して事業展開しているのでなく、モンテッソーリの教具に機能が似ているおもちゃをレンタルしているだけの会社が多いのにはうんざりしてきます。

 

集中力とおもちゃ

「この子は集中力がない」などということをよく耳にしますが、そもそも集中力のない子っているのでしょうか。私にしてみれば、「集中させてくれるほど面白いものに出会っていない子」であり、「集中するほどのこともない、つまらない環境しか与えられていない子」だと思います。子どもも大人も、興味のあることならいくらでも集中します。無理矢理座らされて、大して興味もないことに集中しなさいと言われて集中する子がいたら何だか不気味な感じがします。また、幼いときに集中したという記憶を脳内にたくさん作ることが集中力を育てるのではないでしょうか。

集中するおもちゃの一例として、『小さな大工さん』があります。このおもちゃは、丸や三角の板をコルク板に打ちつけて、じょじょに家や自動車の形を作り出していきます。抽象的な形を組み合わせて具体物を作り出していくという、将来の学習に繋がっていく能力をフルに使っているおもちゃです。『ステッキあそび(ステッキモザイク)』は、ランダムにペグを差す、ペグを直線に並べて差す、同じ色のペグを差すなど、次第に秩序正しい行為に発展させていきながら集中力を高めます。隙間を見つけるとものを詰め込みたい時期が子どもには必ずありますが、その延長線上のおもちゃと言えるでしょう。

子どもには何か一つの感覚や動作に夢中になり、集中する時期があります。専門用語で「臨界期」「敏感期」「発達課題」等と言われますが、私はこのことを「こだわるべきとき」と表現しています。一つのことに、ただひたすらにこだわって、繰り返していくことで子どもはそれを確実に獲得していくのです。私はこんな「こだわるべきとき」を応援してくれるようなおもちゃがこどもには大切だと思うのです。

 

文字を獲得する前のおもちゃ

子どもの大好きなゲームの代表的なものの一つに「神経衰弱」があります。4、5歳になるとくり返し遊びたがりますが、驚くほど能力差が見える遊びでもあります。「神経衰弱」が強い子は、集中力、観察力、判断力、理解力があって、記憶力がある子です。これらの力は結果として子どもの学習的な力が伸びるかどうかの非常に重要なポイントでもあります。従って「神経衰弱」は大変重要な遊びだということになります。

日本で「神経衰弱」と呼ぶ遊びは、欧米では一般に「メモリーゲーム」と呼ばれます。ヨーロッパには数多くの絵カードによる「メモリーゲーム」があります。どれも工夫されていて、トランプで遊ぶよりはるかに面白味があります。その代表例が『キンダーメモリー』です。よく注意しないと間違いそうな似通った絵のカードがあります。「ただのリンゴと、虫が顔を出しているリンゴ」「色と模様がそっくりなイヌとネコ」「洋ナシの木とリンゴの木」「背景の海の模様がそっくりな船と魚」……。また、汽車と船と家は、ともに煙突から煙を出しています。つまり、わざと紛らわしい絵をいくつか作ることによって、より集中した観察力、記憶力、判断力を要求しているのです。

「メモリーゲーム」には、遊ぶために必要な次のような要素があります。①数量についての正しい概念、②形の把握、③色の認識、④ものの名前や性質、役割などの理解、⑤空間の認識(上下左右、前後など)。そして、これらの識別力は、子どもたちの文字獲得能力と大きな関係があります。ひらがなの「め」と「ぬ」、「ぬ」と「ね」、「お」の点の位置、「し」は左右どちらにはねるのか。「よく似ているけれど、どこか違う」「鏡文字にならない」などの能力に繋がっていくのです。「神経衰弱」で遊んだからといって、即効性があるわけではありませんが、効果が見えないと言って、これらの遊びを疎かにすると、後で大きなツケが回ってくることは間違いありません。いっぽうで、子どもは「早く」育つ必要もありません。

 

積み木あそびについて

子どものおもちゃで真っ先に連想するものはと聞けば、積み木と答える人が大勢います。積み木は子どものおもちゃとしてもっともポピュラーなもののひとつと言えるでしょう。次に積み木について考えてみましょう。まず、良い積み木の条件として、以下のような要素が考えられます。

  • 十分な量があること 積み木で何よりも大切なことは十分な量があることです。子どもたちは最初に積み木の数を数えて、それに合った遊びをするのではありません。遊んでいるうちに次々と沸き起こってくる構想に、遊びをどんどん発展させていくのです。いよいよ最後の仕上げにかかったとき、積み木が足りないというのは悲劇です。
  • 基尺が定まっていること 基尺というのは、その積み木の基本となるサイズのことです。基尺が揃っていると、いくつかの積み木を組み合わせて遊ぶことができます。
  • 適度な重量感がある材質 重すぎるものは危険ですが軽すぎるとうまく積めません。適度な重量感があることが大切です。ブナ材は堅牢で角が欠けにくく、適度な重量感があることなどから積み木に適した材質と言えます。

積み木あそびの醍醐味は何と言っても積み上げることです。他の遊びとは異なり、積み木はいったん片付けるとゼロからの出発になります。毎日片付けていたのでは遊びが先に進まなくなってしまいます。思い切って子ども部屋などに継続性のある空間を作ってみませんか。それまで知ることができなかった子どもたちの素晴らしい遊びの力に驚くことでしょう。もちろん、そのためにも十分な量の積み木が必要なのは言うまでもありません。

積み木は形が抽象的であるため、他のおもちゃのパートナーとしても優れた存在になります。汽車や自動車、動物のおもちゃと組み合わせて、道路になり家になり荷物にもなります。動物園の柵にもガレージにもなります。形が単純であるほど、子どもたちの想像力が豊かに働き、良い積み木で遊ぶほど、構成力、空想力、思考力、集中力などが自然と育っていきます。

 

よく目にする「大いなる勘違い」

おもちゃのパッケージや店頭ポップ、また最近ではおもちゃのレンタル・サブスクサービスでよく見かけるのは「知育玩具」「◯◯力をつける」「創造性を育み、集中力をつける」「◯◯◯教育のおもちゃ」です。こうしたキャッチコピーは、そもそも、おもちゃが低俗なものと思っているからこういう表現を追加したがると言えるでしょう。また保護者も、不安になって、こうした表現を標榜するおもちゃに手を伸ばしがちです。

おもちゃは「楽しく遊べること」がいちばん。そして「定番おもちゃ」には子どもを夢中にする魅力を備えているのです。遊びは主体的な行為であり、おもちゃは子どもの遊びをより豊かに面白くするための道具のはずです。おもちゃは遊びを「助け」たり「深め」たりする道具であって「邪魔」するためにあるのではないのです。

絵本についてはかなり勉強し、良い絵本を揃えている保育園・幼稚園などでも、ぬいぐるみ、人形などになると信じられないくらいひどいものを置いてあるのに出会うことがあります。また、最近流行のおもちゃのレンタル・サブスクに関しましても、信じられないくらいひどいおもちゃを貸し出している会社をよく見かけます。そういう会社は、自社でおもちゃを見る目を持っていないため、知育玩具として一般的に名前が知られている会社のおもちゃを貸し出すことによって事業を展開しているありさまです。おもちゃのサブスク会社も、そろそろもう少しレベルの高いおもちゃを扱うようになってほしいものです。

遊びというとすぐに「戸外での元気な遊び」となりがちですが、集中力、想像力、空想力の輪を拡げ、自分の内面に向かって働きかけていくような室内遊びについても十分な取り組みや研究が必要です。子どもは遊びながら育っていくもの。遊びを抜きにして子どもが成長、発達することはあり得ません。それだけに、どんなおもちゃで遊ぶかが問われていると言えます。

 

おもちゃを通しての子どもとの関わりかた

子どもが自分の力で遊びはじめたら、気づかれないようにそっと子どもから離れるようにしましょう。大人がいつまでも子どもの遊びのなかにいると、依存心を生み子どもの自立を妨げることになります。遊びという、子どもの最も主体的な行為に対して大人が持つべき心構えは、「子どもと遊んで楽しかった」という気持ちではなく、「遊んであげなくても子どもが最後まで遊びきった」ことに喜びを感じることです。子どもと遊んでいけないということを言っているのではなく、子どもの遊びに入る前に、助けを必要としているのか、助けが必要だとしたらどんな助けかたが良いのかを充分考えた上で入っていくことです。

いつも見えるところにおもちゃがあって、自由に取り出すことができ、何をどこに置くかが決まっていれば、子どもにとって片付けもそんなに難しいことではありません。自分でおもちゃを取り出したことがなければ自分で片付けることはできないのです。子どもはすべて、具体的な体験の積み重ねの上に遊ぶ力を身につけていくと同時に、遊ぶことそのもので育っていくのです。

 

おもちゃの分類

最後に、弊社が所有するおもなおもちゃを中心にして、おもちゃを分類してみましょう。おもちゃの分類法はさまざまあるでしょうが、大きく次のように分けようと思います。

  • 赤ちゃんからのおもちゃ 木馬、モビール、ラトル(がらがら)、クーゲルバーン、プルトーイ、プッシュトーイ、木製の車など
  • 手先を使うおもちゃ ラトル(がらがら)、ひも通し、織機、ハンマートイ、ビーズコースターなど数多い。

具体的なおもちゃとして、『ノックアウトボール』はハンマーでボールを叩き落とすおもちゃですが、ハンマーの持つ位置が発達とともに進化していきます。「ハンマーを使わずに手で押し込む」→「ハンマーの根元近くを持って叩く」→「ハンマーの根元から遠いところを持って叩く」というような大まかな順番があり、同じおもちゃでも遊び方を観察することで、子どもの変化に気づくきっかけを与えてくれます。

  • ごっこあそびのおもちゃ 人形やぬいぐるみ、ままごとあそびのセット、お医者さんごっこのセット、電話のおもちゃなどがあります。
  • 構成あそびのおもちゃ 代表的なものは「積み木」です。また、レールセットなどもあります。
  • ゲームとパズル カードゲーム、ボードゲーム、タングラム、バランスゲーム、パズルなど。
  • その他(郷土玩具、伝承玩具) 独楽、けん玉、マトリョーシカなど

 

非認知能力が問われる

ジェームズ・ヘックマン(ノーベル経済学者)の研究により、EQ=非認知力と言われる「感情」「協調性」「忍耐力」「コミュニケーション力」……も学習に大切と言われるようになってきました。「IQ=認知力」と言われる「知」だけを伸ばすのではなく「EQ=非認知力」を伸ばしましょう。「IQ=認知力」という言葉に弱い日本人。IQ が高いと一流大学に行けるという勘違い。「成績を上げるのに役立つ」というイメージ。IQだけで豊かな人生を過ごせるということは断じてありません。

遊びは学習よりもレベルが低いという一般認識があり、だから学習に一歩近い「知育玩具」と呼ばれるもので遊びましょうという考えがあるのではないでしょうか。しかし、私は「知育玩具」でお勉強っぽく遊ぶくらいなら、もっとのびのび遊んだほうが人格形成などに役立つと考えています。また「知育玩具」よりも、目指すべきものは、人権教育=子どもの土台から育てる教育、大人になっても支えになるものを大事にしようと考えています。

「良いおもちゃ」100選+ の一例はこちら ↓

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